ぽんは愛するより愛されたい

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30歳の曲がり角でぶち当たる壁

私は自他ともに認める気分屋だ。感情の起伏は大きくないが、気分の移り変わりが激しい。

気分が乗れば1日中でも同じことに飽きずに集中していられるし、気分が乗らなければ1分も集中できない。でももういい大人なので、気分が乗らないながらも頑張るときもある。でも、気分が乗っているときの効率の良さにはとても敵わない。

だから私は、せめて家で一人でいるときだけでも、自分の気分に合わせて行動をしている。

私は自営業で、仕事をするしないも、仕事や家事をする時間も概ね自由に決められる。だから気の向いたときに集中して仕事を終わらせてしまう日もあるし、仕事はほっぽり出してずっと料理をしている日もある。一部時間の融通が利かない仕事だけ、ちゃんと時間を守る。

これが一番、自分の能力を発揮できるのだと、そう思っていたのだけれど。

 

最近、新しい環境に飛び込むのが億劫になってきた。

私は気分屋で面倒くさがりなので、面倒くさがりが顔を出しただけだと最初は思っていた。でも違う。これは、老いだ。

20代の頃、私は体の調子が悪くて寝込んでばかりいた。持っている体力はいつも赤点滅で、1日中行動できる元気も自信もなかった。けれど、新しいことにチャレンジするのは好きだった。新しい学問、新しい仕事、そして新しい人間関係。心機一転、そこで何をするのか考えてワクワクしたものだ。ゼロに近い体力と余りある気力のアンバランスさが辛かった。

でも、迎えた30代。私の体力は20代と比べ物にならないぐらいしっかりした。旅行で歩き続けたって、その後バテることはあるけれど、全く寝込んでしまうなんてことはない。風邪だってあまり引かないし、あまりのだるさに一週間を布団で過ごすなんてこともなくなった。これぞ元気。周りと比べるとまだまだ弱いのかもしれない。でも、好きなことは何でもできるし、スポーツだってやる気になれば続けられる。

でも、気力がないのだ。

新しい仕事に挑戦するのが面倒になった。新しい本を読むのだって勇気がいるようになった。新しい人間関係は、もはやどうやって作るのかも忘れてしまった。唯一、新しい学問には興味があるが、それに時間を割くのが面倒になった。これは何だ。私の、あの湧き上がるチャレンジ精神と尽きない興味はどこにいったんだ。鬱病か?こんなにポジティブなのに?そんな話を非常勤職を転々としている友人にすると、彼女もぽつりと言った。私もそうなの。30歳になって、最近、新しい職場に行くのが嫌になってきて。一昨年ぐらいまで、何とも思わなかったし、むしろ楽しみなぐらいだったのに。そして二人して気づく。あ、これ、年齢が30を超えて、何かを曲がってしまったのかも、と。

お肌でも、体力でも、30を超えると衰えるという。私は真っ先に気力が衰えてしまったのかもしれない、と。

 

でもこれではダメだと思っている。やはり新しいことにはどんどん挑戦したいし、仕事も人間関係も本も映画も学問も、何だって楽しんで関わって、ワクワクし続けていたいじゃないか。そしてそのまま、何に対しても楽しい楽しいでも体が動かしにくいわぁ年かしらと笑って言って老いていきたいじゃないか。

ということで、気分で動くことを止めようと思う。そもそも面倒で気分が乗らない日が圧倒的に多いのだ。気分が乗った方が効率がいいが、気分を待っていたらいつまで経っても進捗はゼロである。このままでは私の給料もおいしいご飯も楽しい予定も全てゼロだ。これはいけない。

が、しかし。今まで気分で動いていたものを是正するのは大変だ。

私は自由に時間を使える。逆に言えば、誰も私に命令してくれない。あれやりなさい、これやりなさい、締め切りはこの日時まで。誰かが強制力を持って言ってくれたらどんなに楽だろう。それはそれで、きっと私には辛いのだろうが。

でも私は気分屋で、TODOリストを作ってみても、やることを大きな紙に書きだしてみても、アレクサに色々言ってもらっても、なんだかんだ理由をつけて、気分で動くことがやめられない。

精神的な老いとの戦いは、始まったばかりだ。